読書感想文

タイトル通り読書の感想です

すばる 2021年5月号 しょんなかもち

視点は、一人称一元視点である。
視点である人物がどのような立場であり、どのような人物であるか注意しなければならない。なぜなら、視点の人物そのものが世界を構築しているからである。
冒頭はいきなり股関節痛からである。股関節というと足の付け根、腰、そういうところだろうか。
なぜ、股関節痛かというと、秋の展覧会で自分の背丈ぐらいの書の作品を作っていて足腰に負担がかかってしまった可能性が高い、というのである。
とすると、この人物は展覧会に出品するような書道家、であるということだ。
とりあえず、腰まで痛くなったので、整形外科クリニックに行くわけである。
それなりの専門の医者に行くぐらいなので、普通の住宅地に居住しているのだろう。
時期は梅雨明けの暑い日ということだ。
120分待ちということで、読みかけの本を持ってきてもいるし、待合室で待つのだ。電話であらかじめ確認したりはしないので、それほど、分刻みに予定が詰まっている、というわけでもなさそうである。
待合室の患者たちを見渡すと、自分は比較的若い方だった、とあるが、これだけだと年齢がわからない。高齢者から高校生まで、とあるので、なんとなく、三十代、四十代、だろうか、とは思える。高校生が十代、高齢者が七十代、足して二で割ると四十代、その前、と考えたのだ。
壁には書が飾られていた、とある。やはり、書道家だから、書に目が行くのだろう。
ついでであろうか、医者の証書も掲げられてあった。そこに記されている生年月日を見ると自分よりも十歳近く若いことがわかった。恥ずかしいので老医師にすべきだった、とあるのは、性的な意味で恥ずかしいのであろうか。
その医師の登場である。筋肉質、剛毛、坊主頭、さらに、お風呂が沸きました、性的イメージな気がする。
それらを打ち払うように、レントゲンの予約のみである。一週間後である。
医師は体に指一本触れなかった。納得がいかないまま立ち上がった、のである。
医師の触れなかった肌を七月の太陽が刺したのである。
一週間後、病院に行くと、今度はレントゲンである。技師は男性で、レントゲンの装置を股間に近付けたので恥かしさを堪えたのである。
撮影が終わり、医師の診断。医師の若い肉体にかすかな憎しみが湧き上がって目を逸らしたのだ。ただ、レントゲン写真そのものは恥ずかしいものではなかった。
次はMRIの撮影の予約。
試みに正座で書道をしていいかたずねると、否定された。
子どもの頃から親しみ、20年以上のブランクを経て5年前に再開した書道を諦める気にはなれない。とするとやはり四十歳前後だろうか。
それから、週一で理学療法師による治療。マッサージとホットパットによる保温。試みに、診断名は何か聞いたら、腰痛症だった。結局、なにもわからない。
書道も続け、晩秋にはシカゴにも行った。
再び本格的に傷みだしたのは、年が明けてから。
このまま同じことをやっていても埒が明かない。看護師の知人に股関節の専門医を紹介してもらう。
待合室はえらい混みよう。テレビではコロナのことでダイヤモンド・プリンセス号。十年以上前の火災のことを思い出す。
火災を起こして、今度はコロナ、ということだ。
定期的に通ってくる常連であるらしい高齢の三人の女性の会話。今回の医院のイメージは「老い」である。
三人の老婆の口癖、「しょんなか」。しょうがない、仕方がないという意味の方言。
でも、今度の医師は期待できそう。
手の模型の比喩。手の内部の微細な作り。自分の肉体を医師に託してもいいと思える。鴨志田医師の登場。
60代半ばに見える。威勢の良い紳士のイメージ。
夏からの通院は無駄だった。
骨盤の丸い窪み、臼蓋が小さい。軟骨が磨り減ってしまう。骨を削る手術しかない。しかも、若くなければいけない。
進行性で治るわけではない。これからは股関節を守る生活をしなければならない。
帰り、二年前、岸田劉生の絵画を見に行ったとき左足に妙な痛み、さらに、十年前、義父の法事で正座したとき、ギシギシという違和感。
実は、ずっと前から、感じていたのだ。いまさら、である。
しょんなか、と呟いていた。
義理の母、90歳のトシ子さん登場。丘の上のグループホームにいる。怪我や病気にもめげなかった。
グループホームは丘の上なので坂を上らないといけない。股関節にはよくない。
歩けることの有難さを感じつつ歩かなければならない。痛くなかった頃の歩き方を忘れている。
12年前に結婚してこの街に住み始める。
グループホーム。義母を含めて九人。全員、認知症
チエ子さんにも神経ブロック注射を受けるほどの腰痛の経験があった。
一年前、二カ月の入院生活で家に帰ることは難しくなり、グループホームで暮らすことになった。
会ったときから畏れを抱いていた。46歳、歳が違う。ということは、主人公は44歳だ。ここで初めて年齢がわかる。
チエ子さんは話が抜群に面白い。
心の距離を縮められないまま12年、過ぎてしまった。
認知症、記憶は出来るが取り出せない。焼き芋を食べたことは記憶されている。
何かの拍子に、記憶されている記憶がひょっこりと出てくる。
股関節痛がなかったときの軽快な歩き方もチエ子さんと同じで、ひょっこり出てくるかもしれない。
チエ子さん、焼き芋を食べながら、わたしは、焼き芋評論家やけんねえ、と言うかと思ったら、しょんなかもち、しょんなかもち、と言い出す。
しょんなかもちって、なに?
チエ子さんがいろんなものに絶妙なあだ名を付けていたことを思い出した。
ちょっと高級そうな豆腐、金持ち豆腐。厚揚げを網で焼いて葱、しょうがをかけたもの、天才ステーキ。
みんなのいるリビングにもどろう、と言って行ってしまう。三時のおやつ。
三月、鴨志田医師の二度目の診察。
学校がコロナで休みになってしまったので書道教室の出席率は逆によくなった。
待合室も閑散としているが僧侶がいた。月参りを思い出す。11年前に亡くなった義父の月命日。
チエ子さんは早起きして支度をする。
主人公は、首都圏の仏壇のない家に育ったので新鮮だった。首都圏というと関東プラス山梨県だが、たぶん東京近郊なのだろう。なんでこういう書き方をするのだろう。長崎? と対比しているのかな。
先祖の供養の務めを果たすチエ子さん。神様、仏様、謙坊ちゃん。謙坊ちゃんとは、海外に暮らす二男(隠膳という)。
毎朝、米一合を炊く。ちなみに、一合は重さ150グラム、体積は180ミリリットル、カップ一杯分。二食分ぐらい。
自分が食事を終わるといううことは、神様、仏様、二男が一緒に食べ終わるということ。朝の務め。
親戚には贈り物、寺にはお布施。一人暮らしだが一人ではなかった。忙しか、忙しか、と口にする。
主人公は、憧れと疎ましさを感じていた。
85歳のとき貧血で入院。お札は近くの宮に返して神棚は取り払い、隠膳も作らなくなり、仏壇のみになった。
人工関節にする手術は避けられないかもしれない。
遺伝は関係あるのか聞いてみた。主人公は一卵性双生児で、妹がいるのだ。
鴨志田医師は興味を示すも、結局は、自分の股関節は自分で向き合うしかないという。
治療室での牽引療法。
フィッシャーマンズワーフ、サンフランシスコの観光地。漁師町テーマパーク。気持ちよさそうに横たわるアシカたち。
気を紛らわそうと、しょんなかもちがどんな餅か考える。
バンコクにいる友梨佳に連絡。テニスをしているらしい。友梨佳は一卵性双生児の妹。
さっそく、股関節のことを聞いてみる。まったく平気らしい。
マイペンライ、と言われる。
大丈夫、なんとかなる、という意味(タイ語)。
ひょっとすると、しょんなかもち、とマイペンライは同じかも。
チエ子さん、仙骨を骨折したとき。最初は受け入れられなかった。次第に、しょんなか、と言って受け入れた。
まさか、はがいか、しょんなか。この三つが、マイペンライ
自分の股関節痛は、いま、どこだろう。まだ、はがいか、の段階なのかな。
彼岸入り。商店街は、供物や仏花を求める人たちでにぎわう。暑くもなく寒くもないちょうどいい気温。
門前には市場があり、いつもは墓参の途中で寄っていく。
店も市場も、いまは、再開発のためになくなっている。
市場の角を折れ、路地に入る。結婚する前、チエ子さんは、このあたりに住んでいた。県庁に通うためにこの坂を下った。義父もこのあたりで育った。ふたりで通勤したこともあった。仕事が終わるとダンスホールに通った。
股関節は、納骨堂まではなんとか大丈夫。
義父がなくなって、墓を納骨堂に移したとき、二歳で亡くなった男の子の遺骨はなかった。男の子は、この世から消え、人の記憶からも消えていく。
母方、チエ子さんの実家の墓は小高い山の上にある。さらに上っていき墓に辿り着いた。幸い、股関節の痛みはかすかな疼きのままだ。
いつもと違い、静まり返っている。コロナの影響。
今回はなんとか上ってきたが、秋はどうだろう、来年はどうだろう。
股関節に経験したことのない鋭い痛み。ついに大きな傷がついてしまったのか。
タクシーを呼んでもらい、タクシーまでは、運転手におんぶをしてもらった。
タクシーで鴨志田医師のところに行く。
強い痛みがあったらその意味について考える。
正反対の感覚も含まれる。腰の痛みのあった老婆、痛みがなくなると、寂しか、と言った。
青果店にタケノコが並び始めた。春キャベツ、新玉ネギも。人間がコロナであたふたとしているのに対して、野菜は堂々としている。
年配の女性が杖でやっと体を支えながら果物を見ていた。
なにをしていても、痛みと股関節のことばかり考えていた。
チエ子さんから電話が掛かってくる。しょんなかもちについて聞いてみるが忘れたと言った。
コロナの緊急事態宣言のために、書道教室は休み。展覧会自体も中止になった。足しげく鴨志田医院に通う。
診察室の机に股関節の模型が置いてあった。ちょっと触ってみる。太腿の骨と骨盤はたしかに杵と臼の関係だ。
歩くというのは、餅つきなのだ。
ヨイショー、ヨイショーという掛け声のような音。神社に行ってみる。しょんなか、しょんなか、と心の中で呟いている。
義父の命日に寺のお坊さんにお経を上げに来てもらう。そのとき、チエ子さんを連れてこようと考えていた。
車でチエ子さんを迎えに行く。
家に着くと、チエ子さんは少しずつ記憶を取り戻した。自然といつものソファに腰を下ろした。
読経を終えたお坊さんは、私たちの方へ向き直り、深々とお礼をした。
チエ子さん、突然、お寺の裏のフタミ先生という小児科の先生の話をする。
60年以上前の話を知るはずもないと思ったら、お坊さんは頷いた。
お坊さんを見送ったあと、帰る支度をしていると、チエ子さんは不安に思われた。もう忘れてしまったのかもしれない。
車に辿り着き、後部座席に座らせる。チエ子さんは、きょうはよか天気だね、と繰り返した。
グループホームに到着する。
チエ子さんはみんなの輪に入っていった。