読書感想文

タイトル通り読書の感想です

日本近代短篇小説集3 岩波文庫 萩のもんかきや

視点は、一人称一元視点である。
そのとき私は萩の町をあるいていた。そのとき、というのは、現在から振り返った特定の時期のことだろう。過去形を強めている。
ぶらぶら歩いていた。どのように歩いていたのかを説明している。目的があってすたすた歩いていたわけではないのだ。
汽車に乗って東京へ帰ればそれでいいのだった。つまり、帰るまでのつぶしてもいい時間なのである。
済んだ用事というのは、厄介な用事だったようである。
何年もぐずついた関係でやってきた二人の人間を、分けて対立させるような仕事だった。
五十くらいになると、こういう無駄なことにも動員されるものらしい。
それもすんだ。無責任が楽しい。私は歩いて行った。
大きな家のところへ出た。みるとそこに門札がかかっている。立派な字で名が書いてある。
いちばん大きい保守政党の国会議員で、なかなかに立ちまわっている。
門の真ん前、道路のまん中に、太鼓をのせた櫓が出してある。旅先の気楽な無責任さが、私をなごやかさの方へ引く。
そういう毒のないところへ、旅先の心が行く。
捨てられたようにして置かれた町、そう見て通るほうが気が楽だ。
そのうちいくらか人通りのあるところへ出た。それでも、萩銀座というような馬鹿なところはないらしい。
郵便局のまんまえが菓子屋なのが目にはいった。私はずいと菓子屋に入った。
私は、旅に出ても土産ものを買ってきたということがなかった。
娘のほうは、思い出してあわれをもよおすことも私としてあった。子供の成長に精神的にひびくだろう。
私は、何も持たずに手ぶらで歩くのがいちばん好きだ。その私が菓子屋へはいったのだから、やはり心に隙があったのだろう。
そこに夏蜜柑の砂糖漬があった。箱に貼った紙にも、萩名物という文字が書いてある。
私はぶらぶら歩いて行った。かかえた砂糖漬が、私を甘やかしている。
平安な、いくらかやくざな心持で私はなお先きへ歩いて行った。
なんとなく裏通りといった感じの町になった。
そのとき私は妙なものを見つけた。
店といっても、何の店だかはわからない。女は、何だかを一心にやっているらしい。
羽織か何かへ抱茗荷をかきこんでいるところだとわかって私はほっとした。
見ていられないようなところがそこにあった。
そこに看板のようなものが出ているのが見えた。「もんかきや」
それにしても、あんなことで商売が成り立つのだろうか。
商売としてのそれが、ひどくはかないものに思われてくる。
「もんかきや」の板の下に、「戦死者の家」。
もんかきや、萩のもんかきや、といった調子で私はいくらか急いで歩いて行った。