読書感想文

タイトル通り読書の感想です

日本近代短篇小説集3 岩波文庫 結婚

視点は、三人称一元視点である。
主人公と思われる人物、あるいは、その人物と密接に関わる人物との、ある時点での回想ということになる。どの時点か、というのは、最後の結末で判明する。小説世界を誰が構築しているかということに注意しなければならず、その手掛かりは、誰が全知であるかということである。
ミキヤベーカリーでは、豊子が戸田と結婚したときから、戸田は大将のお古を貰ろた、という者がある。
ミキヤベーカリーは、パン屋だろう。戸田は、職人の戸田となっているので、このパン屋で働くパン職人なのだろう。
大将というのは、主人の小沢のことだ。ミキヤはただの店名である。
小沢が豊子と戸田を結婚させた。
小沢がパン組合の理事なったとき、豊子は事務員だった。
半年後、豊子はミキヤベーカリーに転職。さらに1年後、戸田と結婚した。
パン屋の仕事は夜が主となる。
夕方、豊子が帰宅すると、夫は工場へ出勤する。朝、夫が帰ってくる。食事も風呂も工場で済ませてくる。
今度は豊子が店へ出掛ける。
いつまでたっても重なり合うことなしに動いてゆく。それが、二人の結婚なのだ。
彼女の夫は、話しというものをしない人間なのだ。
たまに豊子が散らかしたままでも、きれいに片付いている。夫は何もいわない。怒っているのでもない。
どうしてあたしに遠慮や気兼ねをしなければならない理由があるのだろうか。
豊子が最初に結婚した相手は、材木問屋の息子で、その結婚は半年で駄目になった。
豊子には、事を面倒に考えないで、大切なことほど無造作にするという傾向があった。
今度の結婚にしても、大して抵抗もなしにあっさり承諾してしまった。
豊子が小沢を好きになったのは、彼にいきなり接吻されたからである。
村夫子然、田舎の先生、浅い学問。
その頃、豊子は家を出て間借りして自立の生活を送っていた。不精な彼女には何よりも気楽でよかった。
パン組合の懇親会が終わった後のことだ。小沢が来て、送って上げよう、と言った。
どういうつもりで小沢が接吻なんかしたのか分からないが、豊子はそれで小沢のものになってしまった。
豊子は、男によってこれほどまでに陶酔を得ることが出来ようとは考えていなかったのだ。
彼女は自分の体の中に一人の成熟した女が息づいているのを、怖れと悦びと恥しさの入りまじった気持で見つめていた。小沢は、ちょうおこのような状態の豊子を襲ったのである。
小沢が彼女に手を出したのは、恐らくちょっとしたいたずら心であったに違いない。この中年の好色者にとって思わぬ掘り出し物であったと思われる。
小沢はちょくちょく高台の下にある豊子の間借りしている家へ訪ねて来るようになった。むろん夜である。
部屋を貸しているのはお妾さんであった。女ひとりの豊子のとおろへ夜間、男が訪ねて来ても、そのお妾さんにはあまり気を使わなくてもよかった。
彼女のところへ現れた時の小沢は、まるで豊子を奥さんのように気ままに扱うのだ。
自然に自分がいそいそして来るのをどうすることも出来ない。ああ、なんて馬鹿なあたしだなあと思うけれども、大きな小沢の前に出ると、彼女が急にまめまめしくなって動き出すのが妙であった。
奥さんにいけない、悪いあたしだ。
かのじょがどんなにあの時に夢中になるかという秘密を見破っている人間がいるのではないかと、ふと恐ろしい気持ちになるのだ。
自分と小沢との間は、お妾さんとその主人との関係よりも、もっと不安定な、気まぐれなもののように思えるのだ。あの二人にはしっくりと結ばれた愛情の絆というものが感じられる。
豊子は、奥さんのことを口に出して拗ねてみたりしたことがないのは、奥さんのことを実際そんなに考えていなかったからだ。
小沢の方にしてみれば旅館代が要らなくて済むし、二人で歩いているところを人に見付けられる心配もなくて、好都合であったに違いない。小沢にはそういう抜目のない、狡いところがあった。
或る日のこと、豊子は小沢の家に急に呼ばれて、職人の戸田と結婚するようにいわれたのである。戸田が小沢の眼にかなったわけである。
大将のお古を貰ろた。彼女にその評判を伝えたのは、クリームや餡をこしらえる係りの高木というまだ見習の少年だ。
戸田の眼は彼女の仕草と表情をあまさず見ている。それが、彼女には恐ろしかった。
歯車のような生活は、もうすぐ終わることになった。豊子に赤ちゃんが生まれるからだ。
そうだわ、確かに人間、趣味を持たなくてはいけないわ。豊子は初めて気が附いたような気がする。
ひとりの小さい赤ん坊が生れて来るという想像は、夫の方にも影響を与えた。
次の日から彼は模型のようなものをつくり始めた。それは、大きな模型のヨットだ。そして、初月の末に、ヨットが出来上がった。
プールサイドにしゃがんでいる二人の眼の前で、ヨットは、あるかなきかの風の動きを敏感に捉えて、走り出した。
わかりやすい。ヨットが走り出して、しばらくしてから、豊子が昔を振り返ったのだ。戸田も一緒かもしれない。