読書感想文

タイトル通り読書の感想です

文學界 2021年5月号 Phantom

小説ということなので描き出される世界は、任意に構築されたものである。現実世界とは無関係なのである。とすると、読者にとって、この世界を構築したのはどういう人物なのかということが重要になってくる。
主人公は華美という女性である。視点は、三人称一元視点である。まあ、一人称でもいいのだけど、ちょっと頭を冷やしてみました、というところか。とすると、小説世界を構築したのは、華美という女性であることがわかる。
小説のタイトルは、Phantom、幻影ということかな。頭を冷やしたというのと結びつくかな。とりあえず、主人公についての描写である。
鉢植えに水をやる。適量でしかも溢れた場合を想定して布巾を持ってスタンバっている。住居はUR賃貸住宅で高倍率を掻い潜って手に入れたらしい。
すぐに友人からの結婚式二次会への招待メール。華美はソッコーでコスパを計算して、マイナスだと判断すると、断りの返信をする。
ここまでだと、華美という女性、若いのになかなかしっかりものだという印象である。
ところが、次のノートパソコンの描写で、おや? と思ってしまうのだ。
彼女は証券取引ソフトを立ち上げて株式等の値動き等を注視するのだった。
ようは、彼女は、手堅い生活を営む女ではなく、たんなるおカネマニアなのだ。
次は、華美の勤め先。外資系の食品会社の事務をしている。
社内の会話もおカネである。ここで年齢が27歳であることがわかり、やはり、カネ頼みだとわかる。
自宅に帰り、恋人の直幸と会うが、自炊の食事とセックスだけである。終わると、すぐに、ノートパソコンを起動させて証券取引ソフトを立ち上げる。そんな彼女の目標は5000万円の資産。そうなれば、毎年、なにもしなくても250万円を手にすることができるから、ということらしい。
ふと、直幸の方を見るとタブレットに見入っている。そこには、ムラという怪し気な宗教法人のようなコミュニティのサイトが映し出されていた。シンライという独自通貨も流通しているらしい。
つまり、華美のおカネマニアと対抗するような事態の出現である。なんとか、華美は食い下がるが、論破することが出来ない。
ここからは、おカネマニアとは逆の方向へ向かうことになる。とくに都営住宅に住んでいる両親である。父親は健康に気を使っていたにもかかわらず倒れてしまい病院通い、経済的には苦しい。将来的にも、まさに首が回らない状態である。
そんな両親のもとに花美は「儲け度外視」で毎月一度は訪れているのだ。またしても、あれ? という感じ。華美はおカネマニアであっても守銭奴ではないのだ。
さらにその後も、おカネの信奉がいかに危ういかという事態が幾重にも立ち現れてくる。その中でも一番強烈なのが、一億円以上の金融資産を持っている人のまるで生活保護費受給者のような身なりと暮らしぶりだ。
そもそも若いうちに大金を手にして贅沢をしなければ意味がないわけだ。
ここでまたしても直幸の登場である。さらにムラというコミュニティに深入りしている。しかも、ムラはカルト組織としての相貌を見せるようになる。
華美は直幸を組織から救出する決心をする。かつての恋人、フリーの傭兵をやっている室田優一の手を借りて、ムラに潜入する。アクションもの、スパイものみたいなスリリングな展開があって手に汗握る感じだ。
ようやく直幸を救出し、会社にも復帰してくれたようだが、結局、ムラからの繋がりは断っていないみたい。
華美は華美で、コスプレイヤーになって写真に撮られたりしている。
こういう描写が差し挟まれている。車同士の事故を目撃したときのこと。一方の車は軽自動車で若い女性、彼女は死亡している。もう一方はロールスロイスで86歳の金持ち老人で、こっちは無論無傷である。将来のない金持ち老人は生き残り、将来のある若い女性は死亡してしまったのだ。ちなみに、金持ち老人のロールスロイスは、ロールスロイスの中でも最高級車種、ファントムである。ファントムは5000万円する。ああ、タイトルのファントムはここからか。5000万円に到達していない華美は、まさに、死んでしまった側の人間には違いないのだ。
それにしても華美の株取引をするときの描写が楽しい。いちいちおカネが動くときに、福利分の1.05を掛けるのも微笑ましい。そういう姿を見ていると、5000万円というゴールに邁進しているようだが、でも、結局のところ、5000万円などどうでもよくなってくる。彼女にとって、株取引で5000万円を目指すこと自体が、社会を生きることだからだろう。