読書感想文

タイトル通り読書の感想です

日本近代短篇小説集3 岩波文庫 小銃

視点は、一人称一元視点。
小銃を担いだ自分の影を楽しんだ、とる。小銃なので戦争であり戦地である。また、「わたし」は兵士である。影が出来ているということは、天気は晴れである。楽しんでいる、というのは、躍動している様を言っているのであろう。
日なた、まさに陽光が降り注ぐのだが、遮蔽するものがなく、平坦でなにもない地形なのだろう。軍靴の土煙。歩くたびに軍靴が土煙を巻き上げているのだ。乾燥した大地ということだ。小銃の影の林。つまり、小銃を担いだ兵が自分以外にもたくさんいるのである。
たくさんいるから、自分の影も、ときにわからなくなるのだろうか。幾度も探すのである。
林は響きと共に動いていく。行進しているのである。
探し当てた影が、懐かしく思われる。影を見失ってしまっていたのだ。
蒙彊の地区、ここでようやく場所がわかる。懐かしくなるわけである。
春先になると黄塵の竜巻が起こる。日本の春とは随分と違うのだ。
黄塵に襲われると、室内でも細かい砂の層が出来てしまう。銃の手入れを激しくしないといけない。
明るい空の一点を慕う銃口を覗くと気が遠くなる。弾倉の秘庫をあけ、女の秘密の場所を磨く。
銃把を握りしめ、床尾板のトメ金の一文字の割れ目の土をほじり出し、油を抜き取る。
次いで前床を拭く。気持ちが温まる。創歴のある創口。一日、銃のあそこ、ここにいくども触れた。
ある女のことを思い出した。思い出すために銃に触れた。
21歳、内地を立つとき、26歳の年上の女、出征中の夫を持つ人妻。夫の子どもを宿している女。
実家へ送り届ける途中の寒駅の古宿、七カ月の膨らんだ白い腹をなでた。
銃把は女が身ごもる前の腰を思い起こさせた。
悲しみを込めてその細い三八銃の腰を握りしめた。痛い痛い、慎ちゃんやめて、無理よ、そういう声が聞こえるようだった。
小銃はわたしの女になった。知らぬ男の手垢のついて光る小銃。
わたしは、このイ62377という番号の小銃の交換を嫌がった。射撃が一番うまかったので許された。
年上だと思えなくなって、あんたにかわいがられるようになったら、もうおしまい。でも、わたし、いつもあんたのそばにいる。あんたの鉄砲になって。わたしは心を込めて、標的に撃ち込んだ。
古年兵が殺気立って帰ってくる。その翌日、私たちは場外の演習場へ駆け足で向かった。
白いケシの花が菜種のように咲いていた。崩れた城壁した。ケシは阿片の原料である。城壁は崩れているのだ。
豚の足や爪を煮詰めた鍋。
小銃は歓呼の声を上げた。だらけた弛緩した感覚。
穴を掘る。深さ、二メートル。所要時間は二時間。
エンピ。スコップの一種。
穴を掘り終わったころ、シナ服を着た男たちとシナの女が現れた。みな後手に縛られている。
その女に私の女を求めていた。かれらはただの使役かと思ったが違った。
七人の捕虜たちは穴のそばを動かなかった。穴の前へ立てば殺される。
女を見ていたのは私一人。女も私だけを見ていた。女は妊娠していた。
分隊長にはわかっていた。分隊長は私を気に入ってはいたが、私の弱音は気に入らなかった。
「よし、お前はその女を殺れ!」
女に通う道が銃弾の通う道に思えた。
誉を受けていたのは小銃だった。私をたぶらかし、射的から殺戮にすり替えた道具に怒りを覚えた。
男の生き血を吸う娼婦のようだ、そう思った。
私の内地の女は死んでしまった。私は無力になった。外出日に女遊びを覚えた。
イ62377は取り換えられた。見るからに下品な小銃があたえられた。
班長のところへ飯を運んだ。飯は中庭の石畳に投げ捨てられた。全員、食事は取りやめになった。
私の小銃のユウテイがなくなっていたからだった。私はそのために営倉に入れられた。
師団の射撃大会に出されることが決まった。班長の最後の期待であった。
私は狙いもせずにぶっ放したので零点に近かった。
晩秋、討伐に出掛けた。鉄砲を持った徒歩旅行。鉄砲を持った相手方にぶつかると戦争に代わる。
川に映る自分の影を見てぎょっとした。青ざめた女が棒杭をしょってこちらに嘆願している姿を見たから。
いつの間にか私は落後してロバに乗せられていた。
廃墟となった部落に辿り着くと、突然、チェッコ銃の響きが山麓に湧き起った。
それからあとの私の記憶は途切れる。終戦後、軍刑務所の刑は17年残っていた。
終戦の翌年、私は天津の貨物廠にいた。海を渡る日を待っていた。ここに辿り着くと、日々シナ人の使役をしていた。
武装解除した三八銃が毎日トラックに積まれて到着した。私は上から放り投げられる三八銃を下で受け止めて暮らした。
私はふと握り締めたのが、イ62377の小銃であることを知った。長い遍歴の後のめぐり逢いである。
慎ちゃん、あなたに可愛がられたくないの。可愛がってあげたいの。だから分って。
シナの兵隊の渡しを憎む眼が迫ってきて、鞭が閃いた。

群像 2021年5月号 導くひと

視点は、一人称一元視点である。
視点である人物の描写に注意しなければならない。なぜなら、視点の人物そのものが小説世界を構築しているからである。
一ノ瀬さんがいなくなりました、という言葉で始まっている。言葉を発したのが主人公である。言葉を伝えたのは芹澤良子である。
彼女はテーブルの向かいに座っていて、視線を落としたままなのだ。
そのあと、一ノ瀬さんからは? とぼくが、続けて聞くと、いいえ、まったく、と彼女は答えている。
彼女は困惑していたが、きっぱりとした口調だった。
ぼくは、その答えを予想していたが、がっかりした。ただ、急行列車の酔いから解放された、とある。とすると、この場所に電車で来たのだ。
梅雨の晴れ間。おそらく、初夏に近いのだろう。梅雨の雨がずっと続いているはずの時期だからだ。その晴れ間、なのだ。
真っ昼間、なので、いっそう暑いのだ。真っ昼間、これは、平日か休日、どちらかと言えば、平日のような気がする。
ぼくは、芹澤良子よりも顔が青ざめていた。聞く側の方が聞かれる側よりも、切迫しているのだ。問い詰めている、といった関係ではないのだ。
あなたと一ノ瀬さんはご一緒に働かれていたのですね? ぼくは芹澤良子に訊く。ぼくには、少なくともその点に関しては確証はない。
7年前は一緒に働いていた、と答える芹澤良子は視線を合わせない。
ふぐ屋さんでしたね?
芹澤良子は頷いただけ。芹澤良子は、ぼくに対して心を許していない。
一ノ瀬さん、その日々は人生のブレイクタイムだったのかも、そう言っていた。ぼくと一ノ瀬さんは面識があるわけだ。
ブレイクタイム、休憩時間。
芹澤良子ははじめてぼくの眼をしっかりと見据えた。
ぼくはやっと緊張がほぐれてきた。芹澤良子も困惑の色が褪せてきた。彼女の中から懐かしさの感情が沸き起こってきた。
わたしと一ノ瀬さんが働いていたアルバイト。つまりふぐ屋、ということ。
芹澤良子が語り出す。
彼の第一印象、静か、実際、静かだった。
他のアルバイトの子たちよりも歳が上。芹澤良子も同じ。
新橋にある大手チェーン、とらふぐ料理店。アルバイト、高校生から大学生。
芹澤良子はおばさん、はぐれ者。
まわりの青春の雰囲気が苦手なので23時から翌朝5時まで働いた。
一ノ瀬さんも同じ深夜帯のシフト。
男性スタッフには更衣室がないのでバックヤードで着替えていた。
23時10分前。水曜、週の中日で客足は鈍い。
中年に差し掛かっている男性がいた。新人が来ると聞いていたので、この人かと思った。
店長が青龍を呼んだ。店長は、一ノ瀬さんを紹介したが、なにも喋らなかった。
それからも一ノ瀬さんは喋らなかった。
五階から下の階へと掃除していくのが仕事だったので喋らなくても支障はなかった。
パントリー。キッチンに付随する収納スペース。
青龍はパントリー担当の清掃だったので会話は不要だった。青龍も同じようなものだった。
ディナータイムなら、バイトリーダーや社員から叱責の声が飛んできただろう。
閉店時間は5時。たいていきっちりと終わる。
三階まで客がいた。一階は店長、二階は、芹澤良子。三階は一ノ瀬さんになった。はじめて一ノ瀬さんが喋った。
客の前で雑炊を作る。芹澤良子は三階に行った。一ノ瀬さんは普通に対応した。
接客ありのふぐ屋に応募するわけはない。
一ノ瀬さんに話し掛けたがじっと見詰めるだけだった。
勝手に仲間意識を抱いて話し掛けた。言葉の暴力になってしまった。
続きは後で、と芹澤良子は、店を後にした。
メール
芹澤良子にとっても、ふぐ屋で働くことは、人生のブレイクタイムだった。
それ以来、一ノ瀬さんを避けるようになった。
着替え終わったあと、男性スタッフの姿はなかった。
一ノ瀬さんが坊主頭であることに初めて気付いた。シャツ一枚にコーデュロイパンツの普段着。
寒くないですか? と思わず言葉に出した。
一ノ瀬さんは、ニンニクですから、と答えた。芹澤良子にはまるで意味がわからなかった。