読書感想文

タイトル通り読書の感想です

新潮 2021年5月号 道化むさぼる揚羽の夢の

こういうのって安倍公房みたいなのかな。小説をほとんど読まないので何とも言えないが。
小見出しからである。本当はタイトルなのだが、そこは置いておく。
羽化する男たち、とある。また、番号が1と振ってるので、最初の順番ということであろう。
羽化、というのは人間はしないものである。羽化するのは昆虫である。でも、男たち、とあるので、人間なのである。しかも、女性ではなく男性なのである。とすると、「羽化」というのは、生物学的な現象ではなく、なんらかの比喩だとわかる。なぜ、男性なのだろう。昨今は、男女平等だったりするが、現実的にはそうでないと考える。ここでいう「男」というのは、社会的な意味での男性なのだろう。ならば、性の違いではなく、社会的な機能としての「男」なのである。
その男たちが蛹の形の拘束具に閉じ込めらえているのである。夢を見ることしか出来ないのである。蛹というのは、小見出しの「羽化」に対応しているのであろう。その蛹が拘束具なのである。つまり、本来動けるのに、無理に動けなくさせられているのである。動けないので夢を見るぐらいしか出来ないのである。もう一つあった。糞尿を垂れ流すの出る。さらに、この蛹の拘束具は金属製なのだ。つまり、木のような有機的な温かみがないということだ。無機的に冷たいのである。温かいのは自ら排泄する糞尿ぐらいか。こちらは生身の言葉ということか。
主人公は天野正一という。こうした状況の人は、どうやら、彼一人ではないということだ。さらに、そうした人たちは、地下工場に召集された機械工となっている。機械工なので工場なのだが、その工場は地上ではなく地下にあるらしいのだ。しかも、召集されたのである。地下、というのは、暗黒ということもあるが、洞窟などではなく、つまり、閉ざされた空間ということであろう。召集というのは、応募なのではなく強制的に集められる、ということだ。しかも、召す、というのは、上の立場の人間が下の立場の人間に対して、行使する行為である。そうした無数の人々が、一定の間隔を置いて、鎖で天井に吊り下げられているのである。一定の間隔、というのは恣意的な力に寄ることを感じさせ、また、お互いの意思疎通は禁じられていることでもあるのだろう。宙づりなのは、たとえ蛹を脱出しても、墜落するしかなく、つまり、拘束の度合いがより強力だということだ。さらに、その運命がさらに強く拘束したものの手に握られているわけだ。
一日に数度、天井のスプリンクラーが作動して、これらの男たちの喉を潤すらしい。また、このスプリンクラーは防火用とある。つまり、もともと、通常は、天井から蛹を吊り下げているわけではないということである。たまたまなのか一時的なのかはわからない。
そんな彼は、最初こそいろいろ考えたらしいが、いまでは、諦めて飛翔の夢しか見なくなっている。とはいえ身を捩るとぶらぶら揺れて、それは羽化の時期を予想する行為であるらしい。またスプリンクラーの水は排水かもしれないということだ。これは、蛹の男たちに期待はしていないということだろう。
数日経って、蛹は床に降ろされる。数日なのは、水だけだからだろう。糞尿を排泄しているとすれば、その直前はなにがしか食べてはいたはずだ。蛹に押し込んだ、地下工場の監督官たちが、今度は解放するのである。地下工場というのは、機械工が働く工場なのだろう。そこの監督官が蛹も管理しているらしい。また、蛹は正面が左右に開くようになっているらしく、錠が掛けられているらしい。ということは、羽化とあるが、ただ、金属製の蛹をぱかっと開けて出てくるだけなのだ。また、監督官は機械工の十分の一にも満たない人数であり、鉄の棒で統制をしているのである。とすると、組織としては、少数の監督官と多数の機械工、ということだろう。
監督官は鶯色の制服とある。おそらく鶯色というのは春をイメージしていると思われる。さきほどの蛹に入れられていた者たちは、その蛹を越冬蛹と認識していたことと繋がっている。
監督官たちは、地表近くの広間からさらに地下へ機械工を追い立てる、ということだ。とすると、蛹が吊るされているのは、広間であり、地表に近いのである。つまち、通常の世界に近いということであろう。
コンクリートの床を歩き、両開きの扉を出て、下りの短い鉄骨階段を下りると、錆び付いた鉄の引戸があり、その先に通される、とある。床はコンクリートの打ちっぱなしである。あまり人が滞在するようにはできていないのである。両開きの扉というのは、大きなものでも出し入れできるようになっているのである。短いというのは、この広場とはあまり距離がないということだろうか。鉄骨なのは、やはり、あまり、人が上り下りするようにはできていないのだ。その先の錆び付いた鉄の引戸は、広間の扉とは逆に、なにかを出し入れしやすいようにはできていない、さらには閉じ込めてしまえるような扉ということである。
入った部屋は細長くて両側からホースを持った監督官たちが水を浴びせるのだ。その部屋を通過すると、再び鉄骨階段を下りていく。さらに巨大なする罰上の空間に入り、壁に沿ってらせん状に降りていくとある。これは抗えぬ運命的な下降を示しているのかもしれない。円筒ではなくすり鉢と強調している。
すり鉢の底は楕円形をしていて、作業机が機械工の人数分用意されておる。監督官は楕円の中心に集まり、機械工はその周囲に立つことになる。この処遇から、機械工たちは、自分たちが不正な人間と思ってしまうらしい。不正をしたと思い込んでいるので、みなは許しを請う有様なのである。
一方、監督官たちは段ボールの箱を開け始める。中には、どうやら機械工の仕事着が入っているようだ。それに気付くと、みなは喜びの余り飛び跳ねたりする。
作業着というのは繋ぎなわけだが、なぜ、機械工が喜ぶのかというと、監督官の言葉「おまえたちの翅だ」ということから、つまり、蛹から蝶になるからであろう。つまり、蛹から繋がっているわけである。作業着の胸のところには、住む部屋番号が刺繍されてある。作業着を貰い次第に団地へ行って部屋へ入るということらしい。ちなみに仕事は翌日からだ。
団地は真下でエレベーターで降りる。何度も監督官は、作業着を糞で汚すなと注意している。糞のような考えを持つなということか。あるいは、持っても、それを作業中に出すな、ということだろうか。
小見出し、蝶となり蝶を拵える とある。1章で、蝶というのが、機械工になって作業をすることだとわかるのだが。
居住地である団地は工場のさらに下にあるらしい。またドーム状になっていて、工場と団地の空間はくびれているらしい。居住空間と作業空間の隔絶を示しているのだろうか。
翌朝になり、天野は広場のベンチに腰を下ろしたりする。蝶に成れた喜びをかみしめているのだろう。それにしても、なぜか、子供返りしたようにも感じるのだ。しかもブランコと滑り台が設置してあったりする。
三人の機械工が現れる。初めて同僚と言葉を交わすわけだ。ところがそのうちの二人はほとんどしゃべれないらしい。それは蛹に閉じ込められたおかげであるらしく、しかも、そういうことはあるらしいことも共有されているらしいのだ。自己紹介のとき、一人は小川道夫と名乗り、二人は、シャーナとシャーンということだった。しゃべらないので、小川が勝手に名付けたのだ。三人とは明日会う約束をし、さらにブランコ遊びの約束もした。やはり子供返りしているのである。
始業は八時である。作業机は団地棟と同じに配置されてあるらしい。仕事は蝶を作ることである。楽しく仕事をしていると、巡回している監督官に棒で殴られる。誰かが殴られても、自分も殴られるので各々は知らないふりをする。天野もまじめに仕事をしていたが、結局殴られた。なぜ殴られるのわからない旨訴えたが、やはり殴られるのである。
作業が終わって、部屋に帰る。蝶に成って蝶を拵える、それで満足なはずだが、そこに無意味な制裁、暴力が加わると疑念が湧き上がってくる。
そういうわけで天野は、仕上がった蝶を引き出して机に並べてみるのだった。たちまち、天野は自身が蝶に成り、そんな生活を受け入れるのだった。
翌日、例の三人と天野は公園のブランコで靴飛ばしをやっている。公園の草木はすべて金属製、砂だけが本物である。つまりはまがい物なのである。
楽しい時間は終わりで、そろそろ、始業時間。そろそろ工場に行こうとしていたとき、天野は、ふいに、小川に、仕事中、殴られることを言ってみるのだった。
すると、たちまち、三人は、いままでの子どもらしい楽しい様子が、一変する。無垢な子どもではなく、猜疑の目付きで天野を見詰めている大人である。なぜかと言えば、天野が監督官で探りを入れているのでは、と疑っていたのだ、とは小川の答えであった。
仕事が始まると、やっぱり、監督官が巡回し、あちこちから殴る音。天野は、思い切って、一人の監督官に聞いてみる。なぜ、理由もなしに殴るのかと。監督官は答えた。仕事だと。殴りたくなったら殴る、それが監督官の仕事なのだ。自由で殴っているのではない。そうして、天野を殴るのであった。
仕事が終わり、部屋に帰ると、初めて逃げ出すことを考える。自分は蝶になどなっていないのではないかと。でも、その決心はつかなかった。
3章は芋虫たちの楽園、となっている。芋虫は蛹の前の姿ということであろうか。
天野は、蝶を作っている振りをして、芋虫を作るようになっていた。さらに芋虫の餌の葉も作っている。それは工場からの脱出の代わりであった。
遊び仲間は二人、古谷、中川が加わり、六人になった。ケオドロ遊びをやる。ただ、相変わらず殴られ続け、ついに、天野は、部屋を楽園に変えるべく、天井を空に見せるために青く塗り始めた。この楽園のために朝のリンゴも美味しく食べることが出来た。
朝、いつものように遊んでいるとき、天野は閃くのだった。この芋虫の楽園に、シャーナとシャーンも参加してくれればいいのに、と。
なぜか、たちまち、シャーナとシャーンは、芋虫の楽園を気に入り、天野の部屋にやってkるようになった。しかも、芋虫、葉作りもやってくれる。さらに、名前もピリラ、ピレロに変えてくれた。
4章は、再び蛹化する男たち である。まあ、そのままの内容だろう。
しばらくすると、楽園である天野の部屋に監督官が押し入った。殴られ、楽園は破壊され、三人は蛹行きとなった。
2章1節。小見出しは節だった。アルレッキーノの誕生、となっている。内容はそのままだろう。
蛹の中で、天野は道化のアルレッキーノになったらしい。なんで道化かというと、芋虫パジャンから作業着に着替えて、鏡を見たとき、道化のようだった、と書いてあるから、そこからであろう。
蛹から出てきたときに、監督官の前で踊ってみたりすると、果たして、監督官たちは笑ってくれた。しかも、殴られることはなかった。しかも、仕事中も踊り出す。たちまち、監督官っちが集まってきたが、やはり殴られることはなかった。機械工は殴るが、道化は殴るかどうかわからなかったのだ。これって、ひょっとして、ドゥルーズのいう、生成変化なんだろうか。機械工の天野は監督官に殴られるが、道化のアルレッキーノは殴られない。
2節 二人きりで試行錯誤する もう、タイトル通りだ。この二人というのは、天野とアルレッキーノである。
3節 劇団員が増えていく タイトル通り。道化が順調になって、しばらくすると、小川とシャーナとシャy-ンが部屋にやって来て、道化の中になった。小川はペドロリーノ、他はピリラ、ピレリ。また、古谷、中川も加わる。
4節 旗揚げ公演 人数が増えたので演劇になったのかな。なかなか調子がよくなってきた。
5節 天空座が完成、道化は退場 うまくいってきたので、野外劇場天空座を完成させる。達成感があるので、逆に、天野、自分の役目は終わったのかなと、燃え尽き症候群みたいになっている。そこへ、野村という男が現れ、野村の部屋に招かれる。なんと、野村は機械工ではなかった。街への秘密の階段へ天野を導いたのだった。
3章1節 蝶の生き死に 機械工が作り続けている蝶はどうなっているのやら。
天野は街で蝶を拾い集めている。階段を下ったので、街というのは、工場や団地よりも下にあることになる。
天野は、もう殴られることはなくなったので、道化になる必要はなくなった。
機械工が懸命に作っていた蝶は、この街のためだったのだ。
機械工でも道化師でもなくなった天野。そうなると、アルレッキーノも天野も存在しなくなるのだ。
蝶の調査書を役所に届けに行く。そこには、野村と丸尾がいる。
アルレッキーノ復活。
とりあえず機械工も道化師も意味があったが、蝶の調査員は意味がない、からかな。嘔吐するというのも、なんだかベタな展開かなあ。
獏たち、蛹の夢を平らげる  夢といったら獏か。
浮浪する揚羽の道化  揚羽が道化になっているのか。混ざってしまったのかな。
昇天の日 で、結局、昇天か。
野村が天野に病院行きを提案。天野は嘔吐。ここらへんはフーコーかな。
ついに、天野は自ら蛹に入ることを要求する。蛹に入って昇天。
機械工の天野パート、道化師のアルレッキーノパート、存在意義を喪失したパート。骨格が透けて見えるような感じで、これなら普通に哲学の書籍を読んだ方が楽しいと思える。とくに存在意義喪失パートは無理があり過ぎ。カフカにもなっていやしない。